一人の評論家の仕事から、アメリカの建築の歴史を読む。

江本弘『歴史の建設:アメリカ近代建築論壇とラスキン受容』(東京大学出版会,2019)書評

『東京人』2020年7月号、通号第412号、2019年6月

五十嵐太郎(建築史家・建築評論)

 最近、アジアの現代建築を見学し、すぐれた作品が増えたことを実感する一方、各国において建築史や建築論の蓄積があまりないことが気になっている。日本では、建築雑誌が伝統論争を含む、さまざまな言説の場となり、デザインとともに切磋琢磨を続けた経緯があった。21世紀に入り、残念ながら、建築雑誌はそうした機能を失いつつあるが、おそらく日本の近現代建築が発展した原動力のひとつだった。
 本書は、アメリカの近代における建築論壇を詳細に分析した力作である。こうした言説の歴史をたどりながら、時代の精神史を読み解く作業は、建築の分野でも、すでにデイヴィッド・ワトキンや井上章一が試みているが、本書の大きな特徴は、19世紀イギリスの評論家ジョン・ラスキンの受容を核に据えたことだろう。2019年はいみじくもラスキンの生誕200周年にあたり、彼の主著『ヴェネツィアの石』(井上義夫編訳、みすず書房)の新訳も刊行され、建築を語りつくす独自の文体に触れやすくなったが、本書の視点はきわめてユニークである。
 なぜなら、ラスキン本人は基本的に登場しないからだ。あくまでもアメリカの建築家、批評家、歴史家がどのように彼を理解したかを追いかける。その結果、あぶり出されるのは、作品を中心に記述しないアメリカの近代建築の歴史であり、しかも1850年代、60年代という風に細かく時間軸を刻むことで、その変遷を精緻に確認し、東部や中西部などの地域性、建築界と一般曹の受容の違いも明らかにしている。また、近代的な建築思想の育成、教育の状況、雑誌や本の出版事情などもうかがえるのが興味深い。改めて驚かされるのは、自然論、真実の美、簡潔性、装飾の礼賛者、工業賛美、感性批評、合理主義者、ゴシック様式の擁護者、社会思想家など、実に多様な読まれ方をしていることだ。もちろん、それぞれには当時、ラスキンを読解した人の欲望が反映されている。
 先日、炎上したパリのノートルダム大聖堂の19世紀の修復に関わった合理主義者のヴィオレ・ル・デュクも、アメリカの論壇に大きな影響を与え、重要な役まわりで登場する。本書によれば、ゴシックか古典主義か、という様式の問題は、同時代の日本(=明治期)では考えられないほど深く議論され、その融合としてクイーン・アン様式が持ちだされ、さらにアメリカ建築の独立宣言としてヘンリー・リチャードソンの作品が理解されたという。ヨーロッパの影響を脱し、アメリカ独自の近代建築の発展として、ルイス・サリヴァン、フランク・ロイド・ライトの名も、この後に続くが、機能主義の源泉を求めたときに、19世紀のアメリカ人建築評論家ホレーシオ・グリーノウが発見されたことが最後に論じられる。
 タイトル通り、本書はアメリカの建築の歴史がいかに作られ、自立したかを教えてくれる。20世紀末まで続くアメリカ建築の黄金期は、ここから始まった。