『歴史の建設:アメリカ近代建築論壇とラスキン受容』(東京大学出版会,2019)書評

『ラスキン文庫たより』第80号、2020年10月20日

三宅拓也(京都工芸繊維大学助教)

 文壇に登場してから現代に至るまで、ジョン・ラスキンは、同時代的な関心をもって論じられてきた。ラスキンに何を見出し、いかに語るのか――それは論者自身の思想と不可分である。したがって世に出された無数の言説に示されるラスキン像は一様ではない。それらは時代や地域、文脈によって多様に描かれ、ときに接続し、ときに相反しさえする。
 本書はこうした多様なラスキン像の存在を前提として、それが生まれた背景、すなわちラスキンがいかに読まれ、解釈され、語られてきたのかというラスキン受容の歴史を、その継続的かつ集積的な生産地であった19世紀から20世紀半ばにかけてのアメリカの建築論壇に見定める。それはラスキンに投影された、建築家や建築史家、ひいては近代アメリカの精神史であり、彼らがアメリカ建築の自画像としてつくりあげてきた歴史の歴史である。
 ラスキン受容史研究を手段としてアメリカ近代建築史を記述するこの壮大な試みを支えているのは、徹底して現代の観察者たろうとする著者の姿勢である。ラスキンに触れる数々の史書も、その歴史叙述において論者自身のラスキン解釈から自由ではいられなかった。そこで著者は基礎的な作業に立ち返り、従来を凌ぐ史料収集と、自らの解釈を意識的に忌避した史料読解によって、知られざるラスキン受容の現場を、観察の蓄積として書き起こしていく。
 歴史上の言説を同時代社会との関係から理解するために、情報集積地としての都市や個人が定点観察の単位に定められ、言説が発せられた環境にもつぶさに目が向けられた。論戦を交わす建築家や建築史家の存在、彼らと思想家・家具工芸家・エンジニアらとの個人的・組織的な交流、広告に現れる著述家たちの出版業界における位置、海賊版を含む出版事情、欧州と接続される建築教育の趨勢、フランス語文献を原著で読むことができたアメリカ建築界の言語環境、そしてラスキンの後に知られ並置も対置もされたヴィオレ=ル=デュクの受容と、ラスキンに隠れ忘れられていたH・グリーノウの発見など――通史記述の一方で、アメリカにおいても看過されてきた事実や、曖昧にされてきた状況がつまびらかにされる。論客らの肖像や争点となる建築の図版が集められ論壇史を活きたものにしている点も特筆されよう。
 通史としての時間的パースペクティブを持ち、複数の言語圏を射程に納め、新聞の一隅に載る広告すらも捕捉する広範かつ精緻な史料収集は、その大部分がわずか半年のうちに行われたという。これは各地の図書館・研究機関で蔵書目録や史料そのもののデジタル化と公開が進み、過去がビッグデータとなりつつある現代であるからこそなし得た業である。収集された膨大な史料の分析にも、情報技術を駆使するリタラシーと、情報技術に使われない確かな歴史学的構想力が発揮されたはずだ。近年、建築史・都市史の分野でも、人工知能による地籍史料の巨視的な解析や、3次元レーザスキャニングを用いた遺構の微細な痕跡の分析などが、歴史への新たな知覚をもたらして成果をあげてきたが、本書もまたデジタル時代における歴史学の可能性を提示する画期的なものといえる。
 現代の創造的な観察は、20世紀中葉に書かれ定式化した英雄たちの近代建築史が空白と見做したなかに、確かに存在した者たちの声を聴き得た。そうして明らかにされたのは、アメリカ近代建築論壇が、その黎明期から国際的な影響力を獲得するに至るまで、ときに目指すべき建築の理論的支柱として、ときに打破すべき障壁として、時々に解釈を変えながらラスキンを参照し続けた事実。そしてラスキンの史的位置付けと表裏一体にあったアメリカ建築の自画像の形成過程――クラシック派とゴシック派が凌ぎ合いながら、過去を破り捨て描き改め続けるプロセスであった。同時代の課題解決に有効視されたH・H・リチャードソンの建築やカレジエイト・ゴシックの実践は、当時、両派から自らの嫡流に位置する融合点と見做される。1910年代末から書かれ始めたアメリカ建築史もまた、同時代の到達点を自らに引き付け、そして国際的潮流の原点に自国を位置付けるために、依るべき過去を取捨していた。
 本書はまた、論客たちのラスキン受容に影響した、都市を結節点とする既存知識や人的交流、情報ネットワークの重要性を顕在化させた。本書が主対象とした東海岸と中西部の都市では、同時代であっても地域差のあるラスキン受容が存在したことが明かされる。それだけに西海岸や南部の事情に興味が湧いてくる。西海岸では、のちにニューヨークでクラシック派中枢の建築事務所に勤める富永襄吉が1910年代のオレゴン大学で学んでいた。富永はそこでボザール流の建築教育を受ける傍ら、英文学の講座で、筋書きを「中学時代に邦訳で読んだ記憶もある」という『ヴェネツィアの石』を講読したと述懐する(富永襄吉『プティ・トリアノン』日本外政学会、1968年)。富永の解釈こそ不明であるが、そこにもラスキンが読まれる環境があった。こうした地域から発せられる声はあったのか、中西部の飛地とみなせるのか、あるいは現時点における史料の状況は如何なるものかなど知りたくなるのは、本書の視座からすればこそである。
 都市間交流を重視した観察は、各地に見られるラスキン受容の偏在と相互の関係性を炙り出し、面的なアメリカ近代建築論壇史の記述を細密に、組織的にしてゆくだろう。そこにはアメリカ国境外に位置する都市も含まれる。その先に見据えられているのは、近代建築史の世界史の組み直しである。こうした試みは、多面的な著述が世界で読まれたラスキンという存在によってこそ有効となる。別稿で著者がアメリカに先立って検討した日本の建築論壇にも、解釈の幅も参照の程度も異なるラスキン受容があった。世界各地での観察は、歴史上の、あるいは私たちの意識上・技術上の空白にまだいるかもしれない、何処かの誰かのラスキンを見つけるだろう。本書が踏み出したのは、そうした大きな一歩でもあった。
 なお、史料収集に立ち帰る実証的な視座は、ラスキン受容史研究における近年の世界的な傾向でもあるという。本書の基になった博士論文の先行研究批判におよそ相当する「建築史学におけるラスキン受容史」(『建築史学』71巻、2018年)は、ラスキン受容史の概観と展望を著者が示したもので、本書の位置付けをより明瞭にしてくれるものとして紹介しておきたい。本書に収録されていないが、電子ジャーナルサイトJ-Stageから閲覧が可能である。